こんばんは。
井手敏郎です。
昨日はなんと1日で1万アクセスありました。 !!(゚ロ゚屮)屮
先日、私のメルマガ読者さん2人の希望で
「哲学ランチ」をした後、
一緒に茨城県の霞ヶ浦の近くにある予科練記念館に行きました。
メルマガはこちら⇒『1日1分心と体に効く話』
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戦争のため15、6歳で散った若鷲たちの遺言は、
まさに生きた「死生学」でした。
今日の『死生学(命の話)』は、「戦争に散った命」です。
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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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オバマ大統領の広島、長崎の訪問が話題になりました。
敗戦して64年になる今年ですが、
現在の平和を享受するに、大きな犠牲を払ってきたことを
私たちは忘れてはいけないのではないでしょうか。
飛行機もろとも敵に突撃する「特攻隊」は、
14歳から20歳の日本海軍少年航空兵養成の中核的施設
(予科練)出身者が中心でした。
予科練卒業生は、全国で約24,000人で、
18,564人が、太平洋戦争で戦死したといわれます。
昭和5年、海軍飛行予科練習生制度が発足した当初は、
高等小学校終了以上のもので、
満14歳以上20歳末満で
学力・体力ともに優秀な少年を飛行兵として採用し、
きびしい教育訓練により
海軍航空隊の中堅幹部に育てたといいます。
昭和12年、劣勢な戦況の中、飛行機の搭乗員が多く必要となり、
あらたに中学校(旧制)4学年1学期予期修了以上
(後に3学年修了程度)の志願者から短期間で養成され、
第一線に送り出されます。
厳しい戦況の中、海軍航空隊は、特別攻撃(特攻)で
爆弾もろとも敵艦に体当たりをする作戦を敢行します。
なおも止まない攻撃に、
空からの守りだけでは祖国を救うことはできないと
新しい特攻兵器が戦場に投入されました。
人間魚雷、人間爆弾といった
爆薬を抱え敵艦に体当たりする攻撃は、
いずれも若き青年達、予科練を中核とするものだったといわれます。
その中の一人の遺書を紹介します。
戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。
私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、
深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。
決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、
真っ先に許されそして激励して下さったのは、
父母上様ではなかったでしょうか。
既に今日あるは覚悟の上でしょう。
私も魂のみたてとして、
ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、
今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。
今それが報いられ、
日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、
私は実に長く感じました。
数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、
小鮒釣りしあの川、
皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。
そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、
今になって後悔しております。
お身体を大切に、そればかりがお願いです。
親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。
育子、昌子の二人は私の様に
母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。
私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、
何卒よろしくお知らせ下さい。
お願いします。
御身大切にごきげんよう。
神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死
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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
家族に大事なことを言い残してはいませんか?
伝えておきたいことをしたためておきましょう。
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編集後記 (*^-^)ノ~~
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両親が長崎出身で、原爆2世でもある私としても、
悲劇を繰り返さぬため、
今度はぜひオバマ大統領に訪問してもらいたいです。
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