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2009年5月28日 (木)

世界一臓器移植が厳しい日本 【命の話31】

 

 

こんばんは。

井手敏郎です。

近年、中国の死刑囚やアジアの貧しい人から、

肝臓や腎臓をお金で買っている

日本や中東への強い批判 ヾ(*`Д´*)ノ" がでており、

自国内の移植の推進が急がれています。

命を理解する上で、「脳死」は避けて通れない問題でしょう。

今日の『死生学(命の話)』は「脳死は人の死か」です。

 
 
  

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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昔から医師は、

①呼吸の停止

②心臓の停止

③瞳孔の無反応

などを基準に、「心臓死」を「人の死」と判定してきました。


ところが1950年に

人工呼吸器が登場するようになって状況は変わりました。

 

心臓発作などで、血液や酸素が脳に行き届かなくなり、

結果、脳の神経細胞が壊れ、脳全体の機能は停止します。

 

呼吸などをつかさどる器官である、

脳幹も動かなくなれば呼吸不全となりますが、

その後一定期間、心臓や肺が機能しているので、

心臓死とは異なり「脳死」といわれるようになりました。


脳死となっても体温はあり、発汗も見られますが、

1週間と持たず、心肺機能は停止します。


また「脳死」と混同される「植物状態」とは、

記憶、言語などをつかさどる大脳が機能停止するものの、

脳幹は動いているので呼吸ができ、

回復の可能性もある場合で、脳死とは全く異なるといわれます。


今この脳死の判定を巡って議論が続けられています。

 

背景は、

年間7000件以上のアメリカの臓器移植にくらべ、

日本は1997年に、臓器移植法が施行されて以来、

11年でわずかに81件という実態です。


日本は「世界でもっとも厳しい条件」が敷かれ、

提供意志の確認できる年齢も、限定されているため、

国内1万2000人の移植待機者が、

臓器の提供を受けることなく亡くなっています。


これを打開すべく、日本では健康な家族の身体にメスに入れ、

臓器を移植する生体移植が進み、

その数は1500件に上りました。

一方、病気した臓器が提供される「病気腎移植」の例もあり、

近年問題になっています。


脳死判定をする検査は、

本人の生前の臓器提供の意思が示されていたり、

家族が同意した場合のみ実施され、

そうでない場合は、心臓死をもって「死」と見なされます。


脳死移植をする場合は、

脳幹が働かず、呼吸は機能は止まっていますが、

まだ機能している

心臓、肺、肝臓、腎臓、すい臓、小腸、眼球が対象となり、

日本臓器移植ネットワークに登録した患者のなかで、

特に緊急を要する人から順に提供されることになります。


死の縁は無量、

私たちもいつどんな立場に立たされるかわかりません。

脳死も、無理解は許されない急ぐべき問題に違いないでしょう。

 
 

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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アメリカでは、本人の提供意思が不明でも、

家族の同意で臓器が提供ができるようになっています。

フランスでは、本人が提供拒否を示していない場合は、

同意したと見なす方式が採用されています。

米仏とも年齢制限はありません。

 

日本では、

「脳死の適応」について、

臓器提供する場合に限り、脳死を人の死と規定します。

「臓器提供の年齢制限」は、

遺言などの生前の意志も15歳未満は認められず、

乳幼児の患者は海外に頼らざるを得ません。

「提供時の要件」は、

本人の臓器提供意志表示カードなどの

書面による意思表示に加え、家族の同意が必要です。

 

インフルエンザの流行阻止のため、

1年後に先送りとなったWHOの指針採択ですが、

自民、民主とも「今国会で結論を」との方針は変えていません。

現行法の改定をあなたはどう考えますか?

 

 

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編集後記 (*^-^)ノ~~
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より多くの命を守るため、

本人の意思、年齢制限、家族の同意など、

基準についての議論を進めねばならないのは

いうまでもありませんね。

同時にしかし、

「死とは何か」、

「命はなぜ尊いのか」

といった大事な問題が、

抜け落ちたままで終わらせてはならないと思います。

 
 
 
  
 
 
 
 
 
 

 
 

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2009年5月24日 (日)

死ねば楽になるのか?! 【命の話30】

 
 

おはようございます。

井手敏郎です。

前韓国大統領の自殺には驚きました。Σ(゚〇゚;)

しかし、世界では年間約100万人、

1日にすれば2700人が、自ら命を絶っています。

ある意味、インフルエンザ以上の脅威とはいえないでしょうか。

 

今回は、身近な出来事をやさしく説いた哲学者、

故、池田晶子さんの『41歳からの哲学』(新潮社)から紹介します。

「考えることに手遅れはない」との帯が印象的な本でした。

今回の『死生学(命の話)』は

『最悪の選択の前に立止まる』です。

 

ちょっと理屈っぽい話ですが、

大事な内容なので頑張って読んでみて下さいね!

 
 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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じっさい、

死んで楽になる保証など、どこにもないのである。

自殺する人は、

死ねば楽になる、

死んで楽になりたい、

その一心で自殺するわけだが、

死んで楽になる保証など、どこにもないのである。


ちょっと考えればすぐにわかるはずなのだが、

とにかく生きているのが苦しいものだから、

「生きているのが苦しい」の裏返しは、

「死ねば楽になる」であると、短絡してしまうのであろう。


この短絡が起こるもうひとつの大きな理由がある。

先に死んだ人は、

死んだことで、楽になったように見えるからである。

つまり、もう生きていないから、生きなくてもすんでいるから、

楽になったように見えるのである。

しかし、ここでもむろん、我々は立止まることができる。


なるほど、死んだ人は生きなくてもすむから、

楽になったように、生きている我々には見える。


しかし、死んだ人自身が本当に楽になっているかどうか、

じつは知れたものではない。

そんなことは、我々にはわからない。

ひょっとしたら、死ぬということは、

とくに自ら死ぬということは、

生きていることよりも苦しいことであったとしたらどうする。


「死んだ人自身」なんてものはない。

死ぬということは自分が無になるということなのだと、

こう考えることもできる。

無になるということが、すなわち、楽になるということなのだと。


しかし、無が楽であるとは、どういうことなのだろうか。

無とは、文字通り無なのだから、

そこには苦しいも楽しいもないはずである。

そんなものは、なんにもないはずである。

ゆえに、無になることが楽になることだと言っている人は、

無になることが楽になることだと言っているのでは、

じつはない。

正確には、生きていることの苦しみがなくなること、

それが楽になることだと言っていることになる。


けれども、ここでもなお我々は立止まることができる。

つまり、この理屈によれば、死んで無になれば、

生きていることの苦しみがなくなって

楽になったと思っている自分もまた、ないはずだということである。

楽になったと思っている自分がないのだから、

楽になるということも、当然、ない。


要するに、生きていることの苦しみが無になることが

楽になることだというのは、あくまでも、

生きている自分がそう思っているだけということである。

ということは、死ねば楽になるなんてことは、

やっぱり、ないということである。


えい、うるさいは、理屈なんぞどうでもいいわ。

とにかく自分はこの苦しみから逃れたいのだ、

死んですべてを無にしたいのだ。

かくして人は、自問自答の堂々巡りの末に、

衝動的に死ぬのであろう。


(中略)


とはいえ、だいたいにおいて、

当たり前のことほど人は気づかないものである。

当たり前のことほど、難しい理屈に聞こえるものである。

けれども、右(上)のような理屈が、そんなふうに聞こえ、

めんどくさくて死ぬ気がなくなったというのなら、

それはそれで、無用の用というものであろう。


※無用の用(むようのよう)とは、

一見何の役にも立たないと思われるものが、

実は有効な働きをしていること。


  

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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仏教では、愛した男性に捨てられ

自殺を試みようとした女性を見つけたお釈迦様が、

死ねば、今よりもっと苦しい世界があることを教え、

 

 

!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!?

 

 

彼女の無知な行動を諌(いさ)めた、

という話が伝えられています。

死ねば本当に無となり、楽になるのでしょうか。

自殺で楽になるという保証はどこにもありません。

もし死んだ後、

もっと苦しい事態が待っているとしたら・・・・・・。

それでも、あなたはその道を選びますか?

  
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~
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「無用の用」の出典は、中国の古典『老子』ですが、

『荘子』にも同じような記述があります。

「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫(な)きなり」

人が道を歩くのには、

足を置くだけの必要な地面があればいい。

と考えたらどうでしょう。

道があっても、

その周囲が谷底だったら怖くて歩けません。

一見よくわからなかったり、「無用」と思えるものがあって、

「有用」になることがある事実も知っておかないといけませんね。

深い意味で、世の中に無駄はないということでしょうか? 

「ちょっと難しいなぁ~」

という話にも耳を傾けていきたいものです。

 

 

 

 


 

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2009年5月21日 (木)

母の席に座ってほしい 【命の話29】

 
 

おはようございます。

井手敏郎です。

今日から裁判員制度が始まりますね。

命に直接関係してくる問題ですので、

もっと関心を持っていきたいと思います。

ちなみにこのブログでも裁判員制度のことに触れています。

まだ読まれてない方は『命の話12』で、

何か気づいていただけることがあると嬉しいです。

 

 

「命はどこまで裁けるか!? 【命の話12】」

http://thanatology.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e516.html   

 

 

今回の『死生学(命の話)』は「その人の背景を知る」です。

月刊『致知』に掲載された鈴木秀子先生のお話から。

 

  
  

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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ある先生が小学校5年生の担任になりました。

クラスの生徒の中に、

勉強ができなくて、服装もだらしない不潔な生徒がいました。

その生徒の通知表には

いつも悪い評価しか書いていませんでした。

 

 

あるとき、

この生徒が1年生だった頃の記録を見る機会がありました。

そこには、

「明るくて、友達好き、人にも親切。勉強も良くできる」

と、書いてありました。

 

 

間違っていると思った先生は、

気になって2年生以降の記録も調べてみました。

2年生の記録には、

「母親が病気になったために世話をしなければならず、

ときどき遅刻する」

と、書かれていました。

 

 

3年生の記録には、

「母親が死亡、毎日、悲しんでいる」

と、書かれていました。

 

 

4年生の記録には、

「父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になってしまった。

暴力をふるわれているかもしれないので注意が必要」

と、書かれていました。

 

 

先生は急にこの生徒が愛おしく感じました。

悩みながら一生懸命に生きている姿が浮かびました。

放課後、先生はこの生徒に、

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、一緒に勉強しない?」

と、男の子に声をかけました。

男の子は微笑んで、その日から一緒に勉強することになりました。

 

 

6年生になって男の子は先生のクラスではなくなりましたが、

卒業式のときに先生は男の子から、

「先生はぼくのお母さんのような人です。ありがとうございました」

と、書いたカードを受け取りました。

 

 

卒業した後も、数年ごとに先生は男の子から手紙をもらいました。

「先生のおかげで大学の医学部に受かって、

奨学金をもらって勉強しています」

「医者になれたので、

患者さんの悲しみを癒せるようにがんばります」

などと手紙に書かれていました。

 

 

そして、先日、届いた手紙は結婚式の招待状でした。

そこには、

「母の席に座ってください」

と、書き添えられていました。

 
 

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命に効くえすちょん?をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

私たちは、その人のそのときの態度や、

目に見える結果だけに心を奪われがちです。

はたして相手をどのくらい理解しているでしょうか。

その人は本当に批判されるところばかりなのでしょうか。

彼や彼女の努力をどれくらい知ろうしているでしょうか。

 
   

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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胸が熱くなるお話でした。

「人を見た目で判断してはいけない」

当たり前ですが、出来ていないことを知らされました。

 

 

 

 

 

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2009年5月15日 (金)

あるインド人の死 【命の話28】

 

おはようございます。

井手敏郎です。

友人が協力してくれ、ようやくブログのデザインが落ち着きました。

ちょっとはずかしいところもありますが、

テーマがかたいだけに、

「似顔絵を出したほうが親近感が沸く」

と友人に勧められ、ブログをカスタマイズしました。

私を知る皆さんからは、「かなり似てる!」といわれます(笑)

何より、タイトルがわかりやすくなったのでよかったです。

S崎さん、どうもありがとうございました。

今日の『死生学(命の話)』は

「あるインド人の死」です。

ちょっと短めですが、心に残る話でした。

 

 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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あるインド人の父親が病死した。

病名を尋ねると、彼は、

「わからない」

と答える。

  
 

父親は6ヶ月間、自宅で療養したが、

息子は会社を休んで父親の看病をした。

その間、医者が往診に来たのはたった2回だった。

病名もわからず父親は死んだ。

 
 

ある日本人の父親が病死した。

すぐに病院に入れられ、

医師や看護師たちは毎日、患者の面倒を見た。

息子は父の病状はわかっていた。

しかし、6ヶ月の間、遠方に住む彼が、

病院に見舞いにきたのはたった2回だった。

インド人と日本人、

果たしてどちらが幸せだったといえるだろうか?

   
 

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命に効くえすちょん?をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なぜ親と子で、こんなにも距離があるのでしょう。

世界の中にあって、

私たち日本が、

親として、子として、見失っているものはなんでしょうか。

家族に対して、今日から何かはじめられることはないでしょうか。

 

 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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84才になる女性が

「本を書き方を教えてほしい」

と、ある出版社に電話してきました。

「出版は難しいですよ」

という編集長に、

 

「4人の男の子をやっとの思いで大学まで出させ、

就職、結婚・・・、子供たちは巣立ちましたが、

入院しても、誰も様子を見に来きません。

不憫に思った看護師が電話を入れてくれましたが、

それでも一人として足を運びませんでした」

 

「本を、印刷をしようとは思いません。

私がどんな思いで、あの子たちを育ててきたのか、

生きてきたのか、書き残すだけでいいのです。

子供を憎んではいません。

でも、このまま死んだら悔しいじゃないですか。

書き残しておけば、いつか子供たちが、

読んでくれる日が来るかもしれません。

それでいいのです・・・・・・」

と彼女は語ったそうです。

 

私たち日本人は何か大事なことが欠けているのかもしれません。

もう少し「親のこころ」を見つめていきたいと思います。

 

   

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2009年5月 9日 (土)

世界の母の日 【命の話27】

                                                                          

Photo  

 
 

                  

こんばんは。

井手敏郎です。

10日の「母の日」にちなんで、

最近開催している『仏教講座』、『死生学講座』では、

『父母恩重経』を通して、

皆さんと一緒に学んでいます。

 

毎年恒例で、参加者にも好評なので、

今後も続けたいと思います。 

今日の『死生学(命の話)』は

「生きてるときに感謝する」です。

 

(写真は5月4日の講座の様子)

 

   
  

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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「母の日」とは、

何がきっかけとなって始まった行事なのでしょう?

  

「母の日」は、

1905年、フィラデルフィアに住む少女

アンナ・ジャービスの母親が亡くなったことに端を発します。

 
 

アンナは、母親を偲んで、

白いカーネーションを献花したものの、

「もうこの世に母はいない」と、

生前、孝行ができなかったことを深く悔やみました。

 

 

そんな彼女が、自分と同じような悲しい思いをしてほしくない、

孝行は生きているときしかできないことを知って欲しい、

との気持ちから活動を始めたことに由来します。

  
  

日本に導入されたのは明治の末。

その後、昭和12年、

明治製菓がお菓子のPRに「母の日」を使ったことなどで、

一般にも定着するようになりました。

 
     

5月の第2日曜日が「母の日」である国は多く、

アメリカを始め、

イタリア、オーストラリア、デンマーク、フィンランド、

トルコ、オーストラリア、ベルギー、台湾、中国などがあげられます。

 
  

台湾で、「母の日」は、

クリスマスなどの行事以上に、

もっともプレゼントがされる1年で最も大きなイベントの一つ。

ついでプレゼントが多いのが「父の日」です。

       
   

中国では「母の日」に、

母親と食事をするのが文化になっています。

     
   

エジプトや中近東諸国の「母の日」は、

日本よりずっと早い3月21日です。

   
   

ルーマニアは、

「母の日」ではなく、3月8日が「女性の日」とされ、

小さい女の子からおばあちゃんまで、

女性は、花や小さなプレゼントをもらいます。

   
  

お隣の韓国も「母の日」はなく、

5月8日が「父母の日」とされています。

 

 

たった一人の女性から生まれた

世界中の「母の日」。

形は様々でも感謝を伝える日にしたいものです。


 

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命に効くえすちょん?をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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仏教では、

すでに親を亡くしている人にとってできる

最大の孝行は、

私自身が「幸せに生きること」とも教えられます。

なぜなら、

親が望むことはいつの時代も子供の幸せだからです。

 

 

母親にどんな言葉を掛けたら喜ばれるでしょうか。

母の一番望んでいることとはなんでしょうか。

今の立場で、私にできることはないでしょうか。

   
      

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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あるアンケートによると、

韓国で「父母の日」に1番喜ばれるプレゼントは

「お金!?」だとか。

(カーネーションをプレゼントする習慣もあるようですが・・・)

 

 

ちなみに昨日は

『父母恩重経』を学ぶ講座に、

両親が参加しました。

さすがに話しづらかったです(笑)



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