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2009年5月24日 (日)

死ねば楽になるのか?! 【命の話30】

 
 

おはようございます。

井手敏郎です。

前韓国大統領の自殺には驚きました。Σ(゚〇゚;)

しかし、世界では年間約100万人、

1日にすれば2700人が、自ら命を絶っています。

ある意味、インフルエンザ以上の脅威とはいえないでしょうか。

 

今回は、身近な出来事をやさしく説いた哲学者、

故、池田晶子さんの『41歳からの哲学』(新潮社)から紹介します。

「考えることに手遅れはない」との帯が印象的な本でした。

今回の『死生学(命の話)』は

『最悪の選択の前に立止まる』です。

 

ちょっと理屈っぽい話ですが、

大事な内容なので頑張って読んでみて下さいね!

 
 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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じっさい、

死んで楽になる保証など、どこにもないのである。

自殺する人は、

死ねば楽になる、

死んで楽になりたい、

その一心で自殺するわけだが、

死んで楽になる保証など、どこにもないのである。


ちょっと考えればすぐにわかるはずなのだが、

とにかく生きているのが苦しいものだから、

「生きているのが苦しい」の裏返しは、

「死ねば楽になる」であると、短絡してしまうのであろう。


この短絡が起こるもうひとつの大きな理由がある。

先に死んだ人は、

死んだことで、楽になったように見えるからである。

つまり、もう生きていないから、生きなくてもすんでいるから、

楽になったように見えるのである。

しかし、ここでもむろん、我々は立止まることができる。


なるほど、死んだ人は生きなくてもすむから、

楽になったように、生きている我々には見える。


しかし、死んだ人自身が本当に楽になっているかどうか、

じつは知れたものではない。

そんなことは、我々にはわからない。

ひょっとしたら、死ぬということは、

とくに自ら死ぬということは、

生きていることよりも苦しいことであったとしたらどうする。


「死んだ人自身」なんてものはない。

死ぬということは自分が無になるということなのだと、

こう考えることもできる。

無になるということが、すなわち、楽になるということなのだと。


しかし、無が楽であるとは、どういうことなのだろうか。

無とは、文字通り無なのだから、

そこには苦しいも楽しいもないはずである。

そんなものは、なんにもないはずである。

ゆえに、無になることが楽になることだと言っている人は、

無になることが楽になることだと言っているのでは、

じつはない。

正確には、生きていることの苦しみがなくなること、

それが楽になることだと言っていることになる。


けれども、ここでもなお我々は立止まることができる。

つまり、この理屈によれば、死んで無になれば、

生きていることの苦しみがなくなって

楽になったと思っている自分もまた、ないはずだということである。

楽になったと思っている自分がないのだから、

楽になるということも、当然、ない。


要するに、生きていることの苦しみが無になることが

楽になることだというのは、あくまでも、

生きている自分がそう思っているだけということである。

ということは、死ねば楽になるなんてことは、

やっぱり、ないということである。


えい、うるさいは、理屈なんぞどうでもいいわ。

とにかく自分はこの苦しみから逃れたいのだ、

死んですべてを無にしたいのだ。

かくして人は、自問自答の堂々巡りの末に、

衝動的に死ぬのであろう。


(中略)


とはいえ、だいたいにおいて、

当たり前のことほど人は気づかないものである。

当たり前のことほど、難しい理屈に聞こえるものである。

けれども、右(上)のような理屈が、そんなふうに聞こえ、

めんどくさくて死ぬ気がなくなったというのなら、

それはそれで、無用の用というものであろう。


※無用の用(むようのよう)とは、

一見何の役にも立たないと思われるものが、

実は有効な働きをしていること。


  

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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仏教では、愛した男性に捨てられ

自殺を試みようとした女性を見つけたお釈迦様が、

死ねば、今よりもっと苦しい世界があることを教え、

 

 

!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!?

 

 

彼女の無知な行動を諌(いさ)めた、

という話が伝えられています。

死ねば本当に無となり、楽になるのでしょうか。

自殺で楽になるという保証はどこにもありません。

もし死んだ後、

もっと苦しい事態が待っているとしたら・・・・・・。

それでも、あなたはその道を選びますか?

  
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~
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「無用の用」の出典は、中国の古典『老子』ですが、

『荘子』にも同じような記述があります。

「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫(な)きなり」

人が道を歩くのには、

足を置くだけの必要な地面があればいい。

と考えたらどうでしょう。

道があっても、

その周囲が谷底だったら怖くて歩けません。

一見よくわからなかったり、「無用」と思えるものがあって、

「有用」になることがある事実も知っておかないといけませんね。

深い意味で、世の中に無駄はないということでしょうか? 

「ちょっと難しいなぁ~」

という話にも耳を傾けていきたいものです。

 

 

 

 


 

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1 命の話(死生学)」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

難しい話を難しく書いてあるものは読みづらいですが、こちらのブログは、わかりやすく易しく書いて下さっているので、読みやすいです。
だから、難しいこともわかった気になれます♪
自殺はいけませんよね。
私は死んだら地獄ですから、絶対に自殺なんてしません。もっともっと苦しくなるんですから。
ありがとうございました。

投稿: JJSG | 2009年5月25日 (月) 22時59分

いつも貴重なお話ありがとうございます!そっかぁ~死んだ後って楽じゃないんですね…。
自殺という選択だけはしないようにしたいと思います。

投稿: みほ | 2009年5月27日 (水) 00時51分

死ねばどうなる?これって誰もが考えていながらまた心に押し込めちゃう問いですよね。

無用の用、そっかぁ、なるほどです。

いつも考えさせられる話、ありがとうございます!

投稿: けーこら | 2009年5月28日 (木) 09時57分

死んでも楽になれないという、保障?・・・というか

証拠も無いではないですか。


死んでも無い人が、死んだ後の人の苦楽なんて、
結局、決めつけられないのは同じなのだから

一概に死んでも楽になれないとは、言えないのではないでしょうか?


死んで楽になれる保証がないということは、裏を返せばそういうことだと思います。


死後を見たことも無い人の言葉に、それほどの信憑性はあるのでしょうか?

投稿: roku | 2009年9月18日 (金) 11時28分

rokuさんへ

貴重なコメントありがとうございます。

確かに死んで楽になれない証拠を出せ、

といわれるとわかるように伝えるのは難しいですね。

哲学者だった、故・池田さんもその点は重々ご承知だったと思います。

ここ10年自殺者は年間3万人を聲、「死んだら楽になる」との思いからか、毎日100人近い方が自ら命を絶っています。

自殺未遂者を含めるとその10倍ともいわれます。

安易な死生観で取り返しのつかない選択はさけてもらいたいと考え、ここではお釈迦様のエピソードも紹介しました。


詳しく書ききれないのが残念ですが、人間の犯している罪の重さ、
また原因と結果の関係など、仏教を深く理解していくと、非常に考えさせられる話でもあります。

私の宗派、浄土真宗は死後の浄土に生まれることを究極の目的とする教えです。私も死後、楽であってほしいと願っている一人です。

仏の悟りを開かれたお釈迦様の深い御心はわかりませんが、死を安易にとらえるのは、危険性もはらんでいると知るきっかけにしていただけたらと思いました。

いろんな角度から考察したいと思います。今後も是非ご覧いただければ幸いです。

投稿: 井手敏郎 | 2009年9月24日 (木) 05時56分

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