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2009年7月31日 (金)

仏教講師の『死生学(命の話)』へようこそ!

 

※最新記事は、下段に掲載されています。

 

はじめまして。

井手敏郎です。

私は現在、茨城県、栃木県を中心に

『仏教講座』『歎異抄講座』

を開催している仏教講師(浄土真宗)です。

 

ベストセラー『歎異抄をひらく』でも知られる

高森顕徹先生に約20年師事し、

これまで日本各地、

台湾などで仏教をお伝えしてきましたが、

今年から医療に携わる方々と一緒に、

看護学校の非常勤講師としても、

生と死の問題を考える機会を得ることになりました。


このブログでは、

切実な生老病死の問題と直面する

看護や介護の世界と、

仏教の協力の可能性を探りながら、

本業のかたわら行っている『死生学講座』での学びを、

皆さんと共有していきたいと思います。

Photo

 

 

 

(牛久市での死生学講座の様子 平成21年7月)

※クリックで拡大します。

 

死生学という概念は、

上智大学を退官されたアルフォンス・デーケン氏によって、

20年くらい前から日本にも広がってきたものです。

近年、大学の授業で行われる死生学講座のほとんどが、

キリスト教などの西洋思想を中心に展開されていますが、

本来、生と死の問題は、東洋思想、

とりわけ日本へ伝わった伝統的な仏教にこそ、

学ぶべきことが多いと感じています。

 

この『知らなきゃ損する死生学』では、 

命にまつわる時事問題などに触れつつ、

仏教の専門家の立場から、

生きる目的とは何なのか、

一人でも多くの方々と一緒に考えていければ幸いです。


講演、勉強会のご依頼、お問い合わせは、

qwl06747@@nifty.com (井手敏郎)

(@を一つ削除してください)までお願いいたします。

        

以下、最新記事です。

ご意見、ご感想など、コメントもお待ちしています。


  
 
   
  
 
 

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2009年7月30日 (木)

夢が叶わない以上の後悔とは 【命の話41】

    

こんにちは。

井手敏郎です。

写真は、最近牛久市で行った仏教講座の様子です。

立ち見(立ち聞き?)が出るほど参加者が増えています。

仏教に関心を持つ方が本当に多くなり、嬉しいです。

Photo





(クリックで拡大します)

 

27日警察庁は、

6月の自殺者数が2822人だったと公表しました。

今年上半期(1~6月)は1万7076人で、

このままだと過去最悪だった

03年の3万4427人と同水準になるようです。

死生学のブログがきっかけとなり、

もうすぐ始まる看護学校での仏教講義が、

「より命を大切にする」

一助になることを願って頑張りたいと思います。

 

今日の『死生学(命の話)』は「夢に向かう」です。

緩和医療医として活躍される大津秀一さんの

『死ぬときに後悔すること25』(致知出版)

に学びます。

     

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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終末期医療の実践をする大津さんは、

臨終に抱える後悔にはあまり差異はないとして、

人が後悔を残す代表的な25項目をあげています。

その中の一つが、

「夢をかなえられなかったこと」です。


人間にはさまざまな夢があります。

しかし、多くが叶わぬものであることも事実です。


そんな中、ただ一つはっきりしているのは、

夢は持ち続けている限り叶う可能性があるということ。

諦めれば可能性を失うということです。


約1000人の終末に立ち会った大津さんが感じたのは、

死ぬ前に後悔するのは、

夢が叶わなかった以上に、夢を叶えるために

全力を尽くさなかったことにあるのではないかということでした。


ピアノが上手な患者がいたそうです。

ピアニストにはなれませんでしたが、

ピアノを弾き続けた彼女は、最後

病棟の患者達を涙させる演奏をしてみせたといいます。


もう一つの後悔として「自分の生きた証を残さなかった」

というものもありました。

生きた証として自伝を書こうとする人も多くいます。

女性の場合は、おなかを痛めて産んだ子供に、

自分の生の証を見る傾向があるので、

特別何かを残さなくても、

次の世代へ

思いが紡(つむ)がれていくのを感じる人も多いようです。


生きた証を残したいと強く望むのが男性に多いのは、

子供に対し、女性ほど自分が生きた証ととらえにくいからでは?

と大津さんは記します。


百年の星霜(せいそう)

を超えるものを残すのはなかなかできませんが、

彼は、工夫次第でいろいろできるのではないかと続けます。


体力が衰えた状態で思い通りするのは難しい一方、

証を残そうと生命を奮い立たせる人もあります。


語らない美学を持つ日本人が証を残す方法、

心に秘めた思いを正直に吐露する形として、本では、

17歳で白血病に倒れた女子高校生の手紙を紹介しています。


「これが私の出す最後の手紙であるかもしれないのに、

本当に何を書いたらいいのかわからない。

今生の別れの言葉は何がいいのか思いつきやしない。

私はもう一度生きたい。

病気を克服してもう一度生きたかった。

ありがとう。

私のために泣き、苦しみ、疲れ、身を捧げんとしてくれた人たちへ。

人間は誰かの役に立ちたい、救ってあげたい、

また、誰かの何かのためにと理想をもつ。

自分の生が、死が意味のあるものでありたいと思う。

少なくとも私にとって

あなたがたの生は意味のあるものであるだけではなく、

なくてはならないものとして存在している。

あなたがたは、勇気のある強い人間だ。

あなたは人を救ったんだという

満足感と自信に満ちあふれて生きていって欲しい。

あなたは私にとってなくてはならない人です。

そう思って、あなたに心から

感謝と尊敬をしている人がいることを忘れないで欲しい」

  
  

感謝を最期の言葉に逝きたいもの。

いつそのときがきても後悔のないよう、

毎日、感謝の言葉をかけていく努力をしたいと思います。

    

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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本では、自伝や、芸術作品、手紙…など紹介しつつ、

いつ死が私達の命を奪い去るかわからないので、

その意味でも、残したい証があれば、

早めに残したほうがいいのではと勧められています。

あなたは最期にどんな証を残したいでしょうか?

  

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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学校などで、仏教講座や死生学講座を開催することは、

私が今年掲げていた目標の一つでした。

やはり願わねば実現しなかったことだと思います。

叶わないことも多くあるかもしれませんが、

夢に向かわなかった後悔だけはしないよう

一層努力したいと思います。


 

 

 
 

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2009年7月26日 (日)

生前の意思を示す 【命の話40】

 

こんばんは。

井手敏郎です。

「ブログを読んでます!」

といってくださる方と何人もお会いできました。

声をかけていただけるのは嬉しいですね。

今日の『死生学(命の話)』は「生前の意思を示す」です。

今回も緩和医療医として活躍される大津秀一さんの

『死ぬときに後悔すること25』(致知出版)

を参考にしました。

 
   

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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大津さんは、約1000人の死を見取った中で、

人間が後悔する心情は、ほとんどの人にほぼ共通するとし、

25項目にまとめています。

   
  

1、健康を大切にしなかったこと

2、たばこを止めなかったこと

3、生前の意思を示さなかったこと

4、治療の意味を見失ってしまったこと

5、自分のやりたいことをやらなかったこと

6、夢をかなえられなかったこと

7、悪事に手を染めたこと

8、感情に振り回された一生を過ごしたこと

9、他人に優しくなれなかったこと

10、自分が一番と信じて疑わなかったこと

11、遺産をどうするかを決めなかったこと

12、自分の葬儀を考えなかったこと

13、故郷に帰らなかったこと

14、美味しいものを食べておかなかったこと

15、仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

16、行きたい場所に旅行しなかったこと

17、会いたい人に会っておかなかったこと

18、記憶に残る恋愛をしなかったこと

19、結婚をしなかったこと

20、子供を育てなかったこと

21、子供を結婚させなかったこと

22、自分の生きた証を残さなかったこと

23、生と死の問題を乗り越えられなかったこと

24、神仏の教えを知らなかったこと

25、愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

 
 

今回は3つ目に挙げられる

「生前の意思を示さなかったこと」を考えてみます。

健康なときに家族と話し合っておくことを、

大津さんは自ら著書などで提言してきたものの、

そんなことをしたことはないという人ばかりで、

その実態はほとんど変わらないと嘆きます。

 
 

死ぬ直前まで話ができたり、

病室には患者と家族しかいなかったり、

死の少し前まで体が動いたりというのは、

ドラマであって、事実ではありません。


実際は、家族は遠くに追いやられ、

医師や看護師に取り囲まれる状況下で、

自分の意思はほとんど示せないといいます。

 
 

また死期が迫ったときは、

「ああして欲しい」「こうして欲しい」

と考える力が奪われ、

さまざまな理由で伝えることができなくなります。

 
 

大津さんは、自分の思いを伝えられない

その姿を、皮肉を込めて「赤ちゃん」のようだ、

いや「赤ちゃんのほうがまだいい」ともいいます。


なぜなら、赤ちゃんの考えていることは、

家族もよく理解しようとしてくれますが、

終末期にあっては、時間や場所の感覚もあいまいになり、

周囲も混乱しているので、

基本的な欲求さえ伝えられないのがしばしばだからだそうです。

  
 

厚生労働省の調査では、

患者本人の意思と、家族のそれは、

必ずしも一致していないことが指摘されています。


自分が痛みを伴う末期状態の患者になった場合、

「単なる延命治療はやめるべき」との回答は、

一般人は一般人全体の21%、医師は医師全体の34%、

看護師は看護師全体の25%に対し、

自分の患者、または家族が末期状態になった場合だと、

「単なる延命治療はやめるべき」との回答は、

一般は12%、医師は19%、看護師は13%と

約10%の差異があります。

  
   

結果、本人が望んでいない治療方針が

臨終まで進められることになるのです。

 

      

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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元気なうちに示した意思が、

実際の死を前にしたとき、

同じ意思や心境である保証はありません。

むしろ「延命しないでそのままにしてくれ」

といっていた人が、「死にたくない」と覆すケースもあるようです。

想像の死と実際の死は、

動物園のトラと

ジャングルで出会ったトラほどの差があるといいます。

いずれにしても、自らが望まない方向に進まないよう、

元気なうちに、一度家族と話し合ってみてはいかがでしょうか。

  
  

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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『死ぬときに後悔すること25』は

非常に気づきがありましたので、

あと何回か取り上げたいと思います。






 

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2009年7月21日 (火)

死ぬときに後悔する25のこと 【命の話39】

 

おはようございます。

井手敏郎です。

主催する『死生学講座』で最近取り上げ、

皆さんからも大きな反響があった話を紹介します。

今日の『死生学(命の話)』は「臨終の後悔を、今考える」です。

緩和医療医として活躍される大津秀一さんの

『死ぬときに後悔すること25』(致知出版)

を参考にしました。

 

Photo

 

 

 

※クリックで拡大します。

(7月21日牛久市の死生学講座の様子(*゚▽゚)ノにぎやかです)

 

一回の紹介で終わるのが惜しい良書だと思いますので、

このあとも少し細かく見ていきながら、

皆さんにも還元できると嬉しいです。

また親しくしているコーチングの先生のコーチで、

これからは読んだ本を、自分の言葉で綴っていくことにしました。 

 

それと今回はできれば、このあと読み進めるのを止めて、

10分間でいいので、紙とペンを持って、

このまま死んだら後悔するのではと思うことを10個、

できれば25個、自分で書いてみてください。

その上で以下の文章を読まれると、

受け取るものが全く違うはずですよ (* ̄0 ̄)ノ

 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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がんの末期はざまざまな苦痛を伴います。

終末期の患者をまず苦しめるのは身体的な苦痛であり、

それを取り除くのが大津さんら緩和医療医の仕事です。


しかし一方で、身体的苦痛は取り除けても、

その人の心の苦痛を取り除くことはなかなか難しいと、

約1000人もの最期を見届けてきた彼は述懐します。


明日死ぬかもしれないと思って生きた人は、

後悔が少ないといいます。

明日死ぬかもしれないと考える人間は、

限られた生の時間を精一杯生きようとしている人間であり、

1日1日に最善を尽くす人間であり、

一期一会を思う人間だからです。


大津さんは何百もの症例を集積し、

人生で解き残す問題、実はそれほど多様ではないと指摘します。

人が最期に後悔を残す内容は、

人類皆兄弟で、大体決まっているのです。


ではその内容とは如何なるものなのでしょうか。

著書では25の代表的な後悔が挙げられています。


1、健康を大切にしなかったこと

2、たばこを止めなかったこと

3、生前の意思を示さなかったこと

4、治療の意味を見失ってしまったこと

5、自分のやりたいことをやらなかったこと

6、夢をかなえられなかったこと

7、悪事に手を染めたこと

8、感情に振り回された一生を過ごしたこと

9、他人に優しくなれなかったこと

10、自分が一番と信じて疑わなかったこと

11、遺産をどうするかを決めなかったこと

12、自分の葬儀を考えなかったこと

13、故郷に帰らなかったこと

14、美味しいものを食べておかなかったこと

15、仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと

16、行きたい場所に旅行しなかったこと

17、会いたい人に会っておかなかったこと

18、記憶に残る恋愛をしなかったこと

19、結婚をしなかったこと

20、子供を育てなかったこと

21、子供を結婚させなかったこと

22、自分の生きた証を残さなかったこと

23、生と死の問題を乗り越えられなかったこと

24、神仏の教えを知らなかったこと

25、愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと


健康なうちは、

「たばこを吸って病気になっても、俺が自分で決めたことだから」

と大声で笑っていた男が、

「先生、タバコを止めておけばよかった」

と泣きそうになったそうです。

大津さんは、死に際に後悔しない一つとして、禁煙を勧めています。

   
 
 

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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自分でも書いてみられたでしょうか?

本に紹介されている25の後悔が、

すべての人にあてはまるわけではありませんが、

自分が考えた後悔と比べたとき、

見落としているものがいくつかあったはずです。

未来に落とし穴があるとすれば、

自分が想定していなかった後悔ではないでしょうか?

 
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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死ぬときに後悔する25項目の

総ては難しいかもしれませんが、

もう少し詳しく取り上げて、

仏教講師としての考察も述べたいと思います。

今後の記事もぜひ注目してください。

自分の立場としては、

24番目の「神仏の教えを知らなかったこと」に

後悔する人が多いというのは興味深いですね。

 
  
 


 

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2009年7月12日 (日)

パチンコ屋で死ぬということ 【命の話38】

 

こんばんは。

井手敏郎です。

暑さ大好きで、まさに「夏仕様?」の身体となっている私にとって、

一番やる気のでる季節がやってきました!

今回の『死生学(命の話)』は

「パチンコ屋で死んだおじいちゃん」です。

全国の塾、予備校、学校などで、

「子どもたちがやる気になるセミナー」

を主催する木下晴弘さんの

『涙の数だけ大きくなれる!』(フォレスト出版)に学びます。

取り上げたい話題一杯のすてきな本でした。

 
  

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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その店には毎日通ってくるおじいちゃんがいました。

彼は開店時刻になると、

必ず開店待ちの列に並んでいるのです。

そして、いつも入り口から少し離れた端っこの台に陣取りました。

その台は常連の間で

「おじいちゃんの台」と呼ばれるようになりました。


しかし、おじいちゃんはどちらかというと

勝負事には向いていませんでした。

勝率はかなり低く、よく負けていたのです。


店側もおじいちゃんには勝ってほしいと思うのですが、

こればかりは何ともなりません。

しかも、「おじいちゃんの台」が開放台になった時に限って、

おじいちゃんは若者に台取りで負けてしまうのです。

それゆえ、おじいちゃんはやはりよく負けていました。


(中略)


ある日のことです。

毎日来ていたおじいちゃんが姿を見せません。

店員たちは

「どうしたのかな?」

「風邪でも引いたのか?」

などと思っていました。

ところが、定時見回りの時、裏の駐車場をチェックしたスタッフが、

倒れているおじいちゃんを発見したのです。

寒い冬の朝の出来事でした。

 
 

スタッフはすぐに119番へ通報しました。

おじいちゃんは救急車に担ぎ込まれ、

多くのスタッフが心配そうにその救急車を取り囲みました。

誰の目にもかなり危険な状態であると映りました。

 
 

病院に担ぎ込まれたその数分後、

おじいちゃんは心筋梗塞での死亡が確認されました。

おじいちゃんの死亡の連絡を受けた店のスタッフはみな泣きました。

そして、口々に自分たちを責め始めたのです。

  
  

「もう少し早く見回りしていればよかった……」

「姿の見えない時に、おかしいとわかっていたはずなのに……」

「もう少し注意していたら、

おじいちゃんを助けられたかもしれない……」

 
 

しかし、亡くなったおじいちゃんが帰ってくるはずもありません。

せめて最後のお別れだけはと、

店長はじめスタッフは通夜と葬儀に参列したのです。

 
 

パチンコ店に1本の電話がかかってきたのは、

葬儀が終わって1週間ほどたった時でした。

おじいちゃんの息子さんからでした。

話があるので責任者に家まで来てほしいという内容でした。

 
 

店長、そしてスタッフたちは

「ついにきたか」

と思いました。

それでなくとも店側の安全管理について、

批判の声が上がっていたのです。

 
 

(中略)

 
 

店長と責任者スタッフは菓子折りを持ち、

息子さんの自宅を訪問しました。

応接に通され待っている間、何を言われるのだろうかと考えると、

不安な気分が襲ってきて落ち着きません。

息子さんが入ってくると、店長は頭をたれて

「申し訳ありません」

と謝りました。

  
 

ところがそれを見て、息子さんは意外なことを言ったのです。

「何を謝っていらっしゃるのですか。

今日あなたたちにお越しいただいたのは、

ひと言お礼を言いたかったからです。

本来なら私から出向くべきところですが、

仕事の都合上ご足労おかけして、申し訳ないのはこちらなんです。

 
 

私の父はみなさん方に出会えて本当に幸せでした。

父は毎日、あなた方のお店に行き、時間を過ごすことを、

このうえない喜びと感じておりました。

 
 

いつも晩ご飯の時に父が話すのは、決まってあなた方のことでした。

『○○ちゃんに、おじいちゃんは元気そうで何よりですね

と声をかけてもらったよ』

『今日は新人のスタッフがわしに自己紹介をしに来てくれた』

『○○さんからは相談を受け取る。彼のおじいちゃんのことじゃ』

 
 

そう言ってたのしそうに話す父を見て、私は思いました。

父はあなた方のお店にパチンコをしに行っているのではなく、

みなさん方に会いに行っているのだと。


父は仕事を引退するとすぐに老け込みました。

何の趣味も持たず、

仕事一途に打ち込んできた父から仕事を取ると、

もう何も残っていなかったのです。

本来ならそこで家族が父を支えるべきところです。

しかし足取りもおぼつかなく、何度も同じことを話す父を、

恥ずかしながら家族は疎(うと)ましく扱っていたと思います。

 
 

でもあなたたちは違った。

父に話しかけ、父を頼りにし、父を歓迎してくださった。

父はあなたたちのおかげで、

このうえなく幸せな余生を過ごしたのです。

この世を去るときもあなたたちのそばから旅立つことができて、

幸せだったと確信しているのです。

 
 

失礼ながらパチンコ店の方々に、

父がこれほどお世話になるとはゆめゆめ考えませんでした。

なんとお礼を言えばいいかわかりません。

本当に、本当にありがとうございました」

   
 

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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損をしてもいいから、

あの人に近づきたい!

あの人になら騙されてもいい!

そんな人物になりたいものです。

私たちは日頃、

周囲のお年寄りに喜ばれるような言動がとれているでしょうか。

これまで社会や生活を支えてくださった方々に感謝し、

もっと話しかけ、

もっと頼りにし、

もっと歓迎することはできないでしょうか。

 
   

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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通常、玉の出が悪い店は、

客の苦情が絶えず、荒れる人もいるようですが、

この店には、いつしか文句をいうような人は来なくなり、

「どうせ負けるならこのパチンコ店で負けたい」

というお客さんで、いつも満員だそうです。

私もパチンコ店のイメージがすごく変わりました!

こんなパチンコ屋なら一度行ってみたいものですね。 

  
 
 
  
 

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2009年7月10日 (金)

相手の考えを理解する 【コーチング6】

  
 

おはようございます。

井手敏郎です。

今日はひさしぶりに「コーチング」の話題を取り上げたいと思います。

コーチングは、相手の能力、可能性を信じ、

サポート(※アドバイスではない)する、

近年、脚光を浴びているコミュニケーションの技術ですね。

より「命」を大切にしていく上で、

コーチングは絶対身につけたい技術だと考え、

ここ数年、個人的に勉強を続けており、

このブログでも取り上げたいと考えました。

今回の『コーチング(命の絆)』は「相手の考えを理解する」です。

就任1年目でチームを優勝に導き、

今最も注目を集める指導者の一人といわれる、

埼玉西武ライオンズの監督、

渡辺久信さん『寛容力』(講談社)に学びます。

    

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では本日の『コーチング(命の絆)』をどうぞ(/^-^)/
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僕がライオンズの監督となった当初から心がけていた方針は、

「徹底的に選手達と話をする」というものでした。

 

一軍の選手たちが力を出せる環境を作るためには、

まずは選手を知らなければならない。

「徹底的に選手たちと話をする」

という作業を、

秋季キャンプではまずやり抜いてみようと考えていたのです。


(中略)


そのキャンプの初めに全体ミーティングなどを行って、

大上段に

「俺の方針はこうだ」

とぶつけるよりも、

まず個別に選手としっかり話し合って、

密にコミュニケーションを取る。

そのほうが、僕と選手との相互理解を図れると考えたのです。

とにかく、僕から話しかけること。

それも「こまめに」「ちょこちょこ」です。


たとえばウォーミングアップ中の選手に声をかけたら、

バッティング練習の順番待ちをしている選手に調子を聞く。

次に外野でジョギングしている選手と

一緒に走りながら話を聞いたら、

ブルペンに行って投球練習を見て、こちらの考えを伝える。


南郷町のキャンプは、

野手とピッチャーとが隣り合った別のグラウンドで練習しています。

その間にはきつい階段もあるのですが、

僕はそこを、

多いときは1日4~5回は往復していました。

さらにグラウンドを出ると宿舎でも気軽に声をかけ、

野球の話から雑談までいろいろ話をします。

するとそのうちに選手のほうも、僕に話しかけてくるようになり、

自然と距離が縮まってくるのですね。


「それでは監督の威厳が保てないのでは」

と考える方もいらっしゃると思います。

しかし今の時代の若い子たちは、

そういった“上から目線”の権威や押しつけで、

思うように動いてくれるような精神構造ではありません。


選手が何を考え行動しているか、どんな性格なのかなどを、

「対話する」ことでしっかり理解し、

その性格にあった対処法で指導していく。

それが必要だと思うのです。

  

改めていいますが、

これは選手の考えを

“理解する”のが目的であって、

“おもねる、迎合する”のではありません。

 

その選手がもっとも受け入れやすい指導の方法や

接し方を工夫するために、

まずはその選手のことを理解する。

そうすれば自然に心の距離が縮まっていく。

その「心の距離の近さ」が、大切なのです。  

 

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命に『効くえすちょん?』をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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仏教の論理学に「与奪の論法」というものがあります。

心から人を動かすにまず大切なのは、

指示、命令、恫喝、立場、報酬でもなく、

相手に望む結果を私達が「奪う」前に、

相手に喜びを「与える」こと、

相手に理解を示す姿勢ではないでしょうか。

会社なら部下は上司の嗜好などを知り、

配慮することも多いかもしれません。

しかし上司で、部下の趣味、好きなものなど知っている人は

あまり多くはないようです。

あなたは彼(彼女)の特技、趣味、好みを知っていますか。

自分の下についている若者達の

趣味、嗜好をそれぞれ1つでも挙げられるでしょうか?

 
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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渡辺監督が台湾野球で活躍していた時期に、

私も台湾で仕事をしていました。

  

まだまだ出来ているとはいえないものの、

「ミスをせめない」

「立場を利用して叱らない」

「押し付けない」

「自分から話しかける」

などを意識しつつ、

周囲の人の特技、趣味、好みなどを知り、

その人の個性、良さを引き出して盛り上げようと

自分なりには心がけてきたつもりです。

 

『寛容力』を読み、徹底した実行で、

大きな結果を出した学ぶべき人が身近にいたと知り感激です。

いっぺんに渡辺監督のファンになってしまいました。

少しでも近づきたいものです。

 

「心の距離」が縮まった後は、

本当に大事なことを伝えていけたらいいなぁと思います。 

 

  

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2009年7月 5日 (日)

虐待から子供達を守るには 【命の話37】

   

こんばんは。

井手敏郎です。

前々から言っていた嬉しいニュースの一つですが、

このブログがきっかけとなり、

今年の9月から、ある学校で、

授業をさせていただくことになりました。

毎週金曜日の講義を受け持つ予定です。

詳細は、授業が始まってからブログでお伝えできたらと思います。 

 

今日の『死生学(命の話)』は「新鮮な水を注ぐ」です。

土曜日に見たNHK『追跡!AtoZ』の

児童虐待の問題から考えます。

 
    

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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年々激増する児童虐待が社会問題になっています。

 

カメラは長崎県にある

情緒障害児短期治療施設(情短)、

社会福祉法人カメリア大村椿の森学園を追います。


虐待から保護された子供達は、

児童養護施設や里親をはじめとする4つの施設に分けられます。

そのうち最も心身の傷の深い子供達が向かう「最後の砦」

ともいえる施設が「情短」です。


しかし虐待から救い出されてなお、

子供達は虐待によるトラウマに襲われます。

子供達が再び豊かな心を取り戻し、

社会復帰することは可能なのでしょうか?


親が外出を続け、夜一人取り残された少年は、

情短でも、夜になると不安で眠れません。


まもなく18歳を迎える少女は、

反応性愛着障害と診断されました。

愛着障害とは自分が必要ない者と思ってしまう症状です。

特有の無力感と孤独感。

そして赤ちゃん返り。

しかし規定では18歳までしか施設にいることはできません。


心を許す職員がいても、

目の前から消えると、その人の存在をイメージできず、

少女は暴力的な態度を繰り返します。


近い将来、彼女はここを去らなければなりません。

ずっと一緒にはいられない。

時間との勝負に悩む職員は、自分がその場を離れるとき、

少女にメッセージを残すことにしました。

その手紙に少女は食事の間も、

何度となく読み返し、心を落ち着けているのがわかりました。


通常、痛みを受けた子供達は、

痛みに対し、理由(なぜ痛い目にあったのか)を考え、

悲しみを感じます。


しかし、虐待を受けた子供達は、

なぜ自分が痛みを受けたのか、

痛みと痛い目にあった理由がつながりません。

そのため「痛みという感情」と「痛み目にあった理由」と「悲しみ」

を分断しないと耐えられなくなります。


どこかで気持ちを発散しないといられない子供達に、

施設職員が理解を示していくことで、

「あばれること」から、

「悔しい」、

「あっちへ行け」といった

自分の感情が伝えられるようになり、

ようやく自分を取り戻すといいます。


18歳で退所したあと、彼らはどうなるのでしょう。

虐待をしているといわれた親も、

必ずしも子供が憎いと思っているわけではありません。

「食事も食べさせている」

「叩いてはいない」

少年を引き取ったある母親は、虐待の実感はなく、

なぜ虐待といわれたのか、未だにわからないと語ります。

それだけに、虐待の報告がされないまま

悲劇が繰り返されるケースも沢山あります。

私たちの周りにも、です。


ある臨床心理士は、

「大人とは捨てたものでない」

「大人も子供の話を聞いてくれる」

「自分の親と違う理解ある親もいる」

「怒るけれども、殴らない親もいる」

という事実を、

傷を負った子供達にわからせることが大切と語りました。

私達にもきっとできることがあるはずです。

 
 

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

赤インクが垂らされたコップの水は

完全に透明になることはありませんが、

水をたしていけば、インクの色も薄まります。

虐待という赤インクも、

周りの大人達がかける

濁りのない言葉や態度で、

いつかきっと薄まるに違いありません。

子供達に魅力ある大人の言動とはどんなものでしょう?

身近な子供達をもっと喜ばせてみませんか? 

  
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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今年は是非、教育の場で話す機会があればと願っていましたが、

思わぬところからご依頼があり嬉しく思います。

願えば叶うものですね。

 

先の学校の教務主任の先生も、

私が主催する仏教講座に実際足を運ばれ、

続けて参加したいといわれています。

仏教を通して、

若者にも命の大切さを伝えていきたいと思います。

 

タイトルと異なり

『学校で聞ける命の話』になっちゃいましたが、

良しとしましょうヽ(´▽`)/

 

 

 

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2009年7月 1日 (水)

痴呆老人が見ているもの 【命の話36】

 

おはようございます。

井手敏郎です。

写真は、行きつけのカレー屋のネパール人の友だち、

カンデルキムラルさんとサラミニサンさんと私。

そのカレー屋のイケメン店長のタケさんは、

死生学講座にも参加され、私ともとっても仲良しです。

Photo






今日は、国立環境研究所所長にして、

終末医としても活躍される大井玄さんの

『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)に学びます。

親しい友人の中に「環境研」の人が2人います。

所長さんの本は読まれましたか~?(笑)

深い洞察に、沢山の学びがある良書でしたよ!

 

今回の『死生学(命の話)』は「つながりを持つ」です。

一見、難しそうな内容ですが、

一番わかりやすかった最初の部分を抜粋しました。

とても大事なことが書かれていますので

頑張って読んでみてください!

 
 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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世界とつながって生きるのは大変な作業である、

と思うようになりました。

わたしは人生の終末を歩む人たちを診ているのですが、

そのなかには認知能力の衰えた方がたくさんおられます。


いやわたし自身、

認知能力の中核である記憶力が衰えつつあるのを痛感します。


言うまでもなく、

私が周りの世界につながっているためには、

見たもの、聞いたこと、喋ったことを記憶しており、

ここが何処で、

いまは何時なのかなど見当がついてなければなりません。

このつながりの喪失が、認知症の人に

「不安」という根源的情動を抱かせることになります。


怒りや妄想などは、

存在を脅かすその不安が形を変えたもののように見えます。

とは言うものの認知症の人たちは、

私たちが「世界」と信じている世界と厳密につながらなくとも、

それぞれの世界を記憶に基づき創りあげ、

そこに意味と調和を見出している場合も多いのです。


(中略)


世界と強固なつながりを築くには、

物事を記憶する力が無ければなりません。

人生のゴール近くでその力を失う人が増えるのは、

誕生・成長・老化・死という

すべての生物の辿る道筋ですから当然と言えるでしょう。


しかし今の日本では、記憶力は良くとも

世界とつながることに失敗している若者が

「ひきこもり」として増えているように見えます。

わたしは、その原因は日本人が代々受け継いできた

「つながりの生存戦略」

を放棄したことに関係していると思います。


なぜなら、現在子どもたちは競争の場に置かれ、

自立した人間になれと言われますが、

そこには、一見するよりもはるかに深刻な心理的ダイナミズム(※)

※内に秘めたエネルギー。力強さ。

が働いているからです。


それは、私(自己)が他者とつながって存在するのか、

それともアトムのようにバラバラな存在としてあるのか、

という深層心理での認識の修正を迫られることなのです。


自分では意識できないその混乱の中で、子どもは行き場を見失い、

世界とのつながりをも失うように見えます。

 
 

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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他者や世界とのつながりを認められたとき、

人はより安定し、

不安から生じる怒りや妄想などから開放されます。

痴呆といわれる方や悩んでいる彼(彼女)がより安定するために、

もっとつながりを増やしたり、深める方法はないでしょうか?

 
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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「怒り」または「不安」が強い人は、

実は周囲とのつながりが弱い人とも言えそうです。

「自分は安定している」と感じる人は、

きっと家族や友人その他、

なんらかの世界とのつながりを

強く感じているのではないでしょうか。

つながるものが多いほど、心は安定します。

家族、友人、趣味、仕事……。

自分がつながれるものを見出すことが大事ですね。






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