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2009年8月28日 (金)

神仏の教えは知ったほうがいい!? 【命の話45】

   

こんにちは。

井手敏郎です。

今日の『死生学(命の話)』は「神仏の教えを知る」です。

今回は緩和医療医として活躍される大津秀一さんの

『死ぬときに後悔すること25』(致知出版)

を参考にしています。

学びの多い内容でしたが、

この本からの紹介は、一端終わりにしたいと思います。

  

Photo

 



写真は今年5月の牛久市の死生学講座。

中央のちっちゃいのは息子(笑)です。

大事な問題を学びたい!!

という方が増えているのは嬉しいことです。

 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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生と死の問題に洞察の深い、

京都大学教授のカールベッカー氏は

世界で一番死を恐れているのが

現代日本人ではないかと述べています。

その理由の一つが神仏に対する理解がなく、

来世に対する信仰が薄いからでは?と指摘しています。


大津さんは、死ぬ前に後悔することの大きな一つとして、

「神仏の教えを知らなかったこと」を取り上げています。


  

たしかに日本にも宗教的な行事は残っています。

しかし理解たるや惨憺(さんたん)たる状況ではないでしょうか。

正月はかしわ手(神道)を打ち、

結婚式は教会(キリスト教)で挙げ、

葬儀は僧侶(仏教)にまかせつつ、

世間的には宗教心がないことを自慢する傾向があります。

日本の最大派閥は無宗教でしょう。


高校時代、

アメリカにホームステイしていたことがありましたが、

日本人は特に宗教を信じていない人が多いと、

ホストファミリーに話すと、とても不思議がられたり、

人によっては、

何も信じるもののない人を信じることはできない!

といわれたこともあります。

  

留学生が日本文化をどう紹介するか論じている本を手に取ると、

海外では仮に信仰心がなくても、

日本人として、

「私はブディスト(仏教徒)です」

と言うべき、との主張が多いのに気づきます。

信仰はもつべきというのが

ワールドスタンダード(世界標準)なのです。


スピリチュアルケアの一つに村田理論というものがあります。

生きている意味を見失うのは、

死を超えた将来の確信(時間存在)、

信頼できる家族、友人、医療者の存在(関係存在)、

自己決定できる自由(自律存在)

の3つのうち1つ以上の要素が揺らぐためである、

という理論です。


このうちの一つが失われても、

他の要素でそれを補い、

心の痛みを和らげるともいわれます。

しかし、終末期になって焦っても、

来世の確信や、心の準備が成し遂げられるかはわかりません。


怪しい宗教は別として、

やはり健康なうちから、毛嫌いせず、

家の宗旨などに関心を持ち、

宗教書や死生観について学んでみると、

思いがけない発見があったり、

古今東西の人間の悩みや疑問は一緒だなぁ~と癒されたり、

侮れないことがわかります。

 
 

僧侶や牧師が勧めるなら当たり前ですが、

本人は信仰心を持っていないと語りつつも、

終末医療に携わる医師の立場で

多くの人に必要だと主張しているのは、

やはり注目すべきでしょう。  

  

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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人間の悩みは、昔も今も、洋の東西を問わず、

あまり変わりないようです。

古典や宗教書には

私達が知りたい智慧や答えがあるのではないでしょうか?

 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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ブログを解析すると、

訪問した方が関心をもたれ『知らなきゃ損する死生学』内の

いろんな記事をご覧くださっているのがわかります。

頑張って続けたいと思います!

 

 

 

 

 

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2009年8月13日 (木)

アルツハイマーを治す方法 【命の話44】

 

こんにちは。

井手敏郎です。

母に頼まれて買ってきた本ですが、

アルツハイマーとなった医師である主人を、

妻として、看護師として、

支えてこられた荒井和子さんの手記

『「アルツハイマー」からおかえりなさい』(ポプラ社)と、

終末医としても活躍される

東大名誉教授の大井玄さんのお話を参考にしました。

今回の『死生学(命の話)』は「相手の尊厳を認める」です。

私には、とても大きな気付きのある内容でした。Σ( ゜Д゜)ハッ!

 

Photo
  

 

(クリックで拡大します)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          写真は、今月の牛久市での死生学講座の様子です。

筑波大学の学生さんをはじめ若い方が多数参加しました。

19歳から83歳と年齢層が幅広いのも、

『やわらか死生学』の特徴かもしれません (*゚▽゚)ノ

 

 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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医師として、海外まで派遣されるほどの人望をもちながら、

アルツハイマーで坂を転がるように状態が悪化し、

記憶障害などに苦しんだ、

荒井医師が一番ショックだったことは、

「アルツハイマー」といったとたん、

周囲から人間性まで失われたように見られることだったといいます。

 

 

デイサービスに行くことがとても嫌だったと告白する荒井医師。

介護する家族にとっては貴重なサービスに違いありませんが、

見知らぬ人たちが自己紹介するわけでもなく、

いきなり一緒に集団行動をとることに戸惑いを覚え、

囲碁や麻雀を勧められても、ルールがわからず断るしかなく、

一人ぼっちだったと述懐します。

  
  

種々の転機で奇跡的な回復を遂げた彼は、

回復の要因を、

わがままや勝手を言っても、ありのままに受け止め、

失敗しても嫌味もいわなかった奥さんや、

音楽鑑賞や読書だったと振り返りました。

   
  

手記では、必ずしも住み慣れた町で、

住み慣れた人に囲まれた老後がよいという、

固定観念も当てはまらないと記されています。

なぜなら、排泄の失敗をはじめ、生活上の困難が重なる中、

尊厳を保つためには、

今までとは違う自分の姿をさらして同情されるよりも、

知らない環境で静かに過ごしたいという気持ちもあるからです。

 

 

事実、荒井医師を訪問したかかりつけの医師は、

新しい住まいのしつらえも認知機能の低下を補うに、

適切だったと感じたといいます。

   
   

認知やうつは、一人でいることが不安になる場合がありますが、

新しい家のオープン型キッチンは居間全体が見渡せ、

いつでも奥さんと会話できる状況、

呼べば聞こえる、顔を上げれば相手の姿が見える生活空間、

それを近くから支える

子供や孫達が生み出す安心感、周囲の笑顔……、

は薄皮をはぐように、静かに、荒井医師の心を癒し、

うつ病が引き起こした仮性認知症の症状を改善させ、

アルツハイマーの認知機能低下による

生活上の困難をも覆い隠したのです。
  

   

認知症患者の脳の働きを研究する国立長寿医療センターで、

認知症患者32名、健常者63名を比較するため、

有名人の写真をみせて、

その被写体が誰なのかを尋ねる実験がありました。

  
  

相手を特定できる比率は、認知の程度が軽度なら33%、

中度なら22%と大きく下がりますが、

相手が喜んでいる、

怒っているといった表情や感情を読み取る力は、

認知症患者と健常者とで、ほとんど差がないといわれます。

  
  

これは認知症でたとえ相手の名前や顔が認識できなくても、

対峙する相手の気持ちは伝わるということです。

  
  

認知症においては、介護、看護側の問題として、

「中心症状」と「周辺症状」の二つの区別を

できていないことが、悲劇を加速させるといわれます。

その理由は、日時、現在地、家族の判別など

記憶に関る能力(中心症状)は低下しても、

徘徊したり、夜中に奇声をあげるといった症状(周辺症状)は、

周囲の配慮や、周りの人とのつながっているという

安心感さえもたせることができれば、

大きく改善するからです。

 
 

高齢者同士の会話をよく聞いていると、

お互いの話がまったくかみ合っていないときがあります。

 
 

「あんたの息子はいくつになるんかね?」

「いやいや、息子の仕事は忙しいですよ」

  
  

このようにつながりのない会話と知りながら、

相手に合わせることを「偽会話」といいますが、

合わせることで、相手とつながっているという安心を持たせ、

症状を穏やかに保つことができます。

 
 

「話が通じない」

「これだから年寄りは困る」

とイライラする前に、

楽しく話をしてつながっていこうという気持ちが、

高齢者の大きな力になるはずです。

  
  

アルツハイマーと告知され、自分でも物忘れを悲観する中、

周囲に人間性まで否定されていく人も少なくありません。

気持ちの落ち込みは症状の悪化を加速させますが、

支える仕組みと心さえあれば、

アルツハイマーからの生還も可能であることが知らされます。

   
   

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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アルツハイマーか否かにかかわらず、

すべての人はいつか老いを迎えます。

たった一人でも喜べるもの、

老いてもなお、

自分の明かりになるものを探してみませんか?

    
 

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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人間にとって「つながり」の大切を強く知らされます。

アルツハイマーの深刻さ、重さを理解したうえで、

あえて、生還する道があることを信じたいと思いました。

「年寄り笑うな行く道じゃ」

たとえ偽会話でも、

私の未来の姿を見せてくださっている先輩方に、

笑顔で寄り添いたいものです。

看護学校でも訴えたいと思います。 

  
   

 

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2009年8月 5日 (水)

残虐者はどこにいる!? 【命の話43】

 

おはようございます。

井手敏郎です。

裁判員裁判が始まり、

ますます一人一人の人間観が問われています。

今回はお知らせ通り、キリスト教と仏教の「愛」の違いから、

人を裁くことについて、考察してみたいと思います。

今回の『死生学(命の話)』は「自分の心を深く知る」です。

 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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痴呆の進む母を献身的に介護する父に、

中年の息子が思わず

「そこに愛があるのか?」と尋ねました。

「今まで愛を沢山貯蓄してきたので、今はそこから切り崩している」

と彼は答えたといいます。


キリスト教における愛は、

「君が好きだ」といった感情とは無関係といわれます。

むしろ自分の感情と別に、

人間としてなすべき態度を示すことこそ愛であると教えます。


わかりやすくいえば、好き嫌いに関らず、

「理性で人のために尽くす」ということでしょう。

聖書の

「右の頬(ほほ)を打たれたら、左の頬も差し出せ」

とは、心の中では煮えりかえっていたとしても、

いつも柔和に、相手のためを思う理性を失わないことを

要求されているのかもしれません。


キリスト教が目指す本物の愛とは、肉親への思いや、

恋愛などで湧き上がる感覚的な気持ちが消えて後に訪れる

個人の思惑を超えた、労(いた)わり、優しさ、哀しさです。


対して仏教では、

法律や道徳的な善悪より厳しく我々の心を見つめ、

欲望、怒り、妬(ねた)み、恨(うら)みなどの

煩悩にまみれたものが人間であり、

生きるためには仕方がないと、生き物の命を奪い、

いざ不本意なことがあれば、親、兄弟、友人さえ

刃(やいば)を向ける恐ろしい心を抱え、

罪悪を重ね続ける、罪深い存在が私であると説かれます。


心理学者ユングは、

「疑いもなく、つねに人間の中に棲(す)んでいる悪は、

量りしれない巨魁(きょかい)なのだ」

と言いました。


有名人のスキャンダルに

「考えれない」

「人間のやることではない」と物した政治家もいましたが、

人の過ちを頭から非難しうる、

無謬(むびゅう)人間はどこかに存在するのでしょうか。


仏教書でもっとも多くの人に読まれる

『歎異抄(たんにしょう)』には、

「さるべき業縁(ごうえん)の催(もよお)せば、

如何なる振る舞いもすべし」という言葉があります。

「あのようなことだけは絶対しないと、

言い切れない私である」という意味です。


仏教の人間愛は、単に理性で人に尽くすというものではなく、

相手の醜さを知った上で、

それ以上に醜い巨悪をひそませ、

いかなる振る舞いもする潜在的残虐者が私、

と知らされた深い人間観や、

「同病相憐れむ」の精神から沸き起こる同朋愛ともいえます。


ある弁護士は語りました。

「人間なら誰でも犯罪を犯す可能性があります。

被害者の気持ちを知る努力とともに、

我が身も加害者になりうることも知り、

加害者の心情にも寄り添うことができれば、

仮に有罪判決がでても、彼らの更生は早いはずです」

 

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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NHKの番組で、大戦中、

ガダルカナル島で飢餓に苦しんだ日本兵達たちは、

群がるハエを食し、

人間をも手にかけ、丸焼きにして食べた事実を語っています。

先入観を捨て、被害者、加害者両方に寄り添った

見方や対応は困難ですが、

あなたが裁判員に選ばれたとき、

マスコミの一方的な意見を受け売りする前に、

「もし私が彼と同様の生い立ち、環境、立場ならどうだろう?」

と、もっと深く考えてみることはできないでしょうか。

 
   

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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重いテーマですが、国民の義務として、

もう無関係ではなくなった裁判員裁判に関連し、

大事なことと思い書いてみました。

如何だったでしょうか。

 

  
 

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2009年8月 3日 (月)

裁かれるより恐ろしいこと 【命の話42】

  

こんにちは。

井手敏郎です。

今日から東京地裁で裁判員裁判が開廷されますね。

人間観が問われる制度ですので、注目したいと思います。

今日の『死生学(命の話)』は「四知を知る」です。

緩和医療医として活躍される大津秀一さんの

『死ぬときに後悔すること25』(致知出版)

から続けて学びたいと思います。

 

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では本日の『死生学(命の話)』をどうぞ(/^-^)/
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終末期特有のスピリチュアルペイン(魂の痛み)

の一つが、

「自分が悪いことをした罪として、病気や死がもたらされた」

という思いです。

現場ではよくある確信だと大津さんは語ります。


人は大なり小なり生き物を殺し、

人を言葉で傷つけ、相手を打ちのめします。

人が人である以上、それを避けることはできません。


しかし、法律上明らかな罪を犯して死を迎える人もいます。

ある患者は

「私が犯したことは、取り返しのつかないことだった!

私は後悔している、後悔しても後悔しても、なお後悔する。

どうしたら良いのだろうか?」

とまだ見ぬ死後を恐れ、自らを責めたといいます。


彼は肉体的な苦痛はあまりなかったにも関らず、

もだえ苦しみます。

犯した罪への後悔、

ゆえに未来永劫許されないという恐怖。

 

それは傍から見ても恐ろしいものであり、

犯罪など犯すものではない、

一人の人間の心はいかに弱いものか、

終末期の現場で、まざまざとそれを見せつけられた、

と終末医療のプロは言葉を重ねます。

 

約1900年前、

後漢(中国の王朝)の官僚であった楊震(ようしん)は、

賄賂(ワイロ)がとくに幅をきかせていた当時にあって、

「天知る、地知る、子(し・あなた)知る、我知る」

と伝え、決然として不正を断ったといいます。

「楊震の四知(しち)」として知られる言葉です。

 

刑罰があるからとか、ないからではなく、

結局、自分自身がその事実に苦しめられることを

私たちは肝に銘じておくべきではないでしょうか。


  

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「命に効くえすちょん」をどうぞ <(゜ヘ゜)>ウ~ン
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自らの意図に反し、

人は罪を犯さずには生きられませんが、

臨終の憂いを少しでも減らすためにも、

自分の側に、常に大事な人がいると思って、

善いことをはじめることはできないでしょうか?

    

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編集後記 (*^-^)ノ~~

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裁かれる、裁かれない、

という法律以上の深刻な問題をここに垣間見るようです。

次回は『死ぬときに後悔すること25』をちょっと横に置き、

仏教の愛と、キリスト教の愛の違いを通して、

裁判員裁判を考察してみたいと思います。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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